松尾山は天武天皇9年(680年白鳳時代)に役の行者(役の少角)が難行苦行を求めて入山したと伝えられる霊地です。後神護景雲3年(769年奈良中期)に高僧宣教がこの松尾山と霊山の辺りに霊仙寺7ヶ寺を創立したその1つで今も只1つ残るのが当松尾寺です。
平安時代前期(元慶)役の行者の山間修行の遺風を慕い、この松尾山の霊地を愛したのが伊吹山寺松尾童子で、ここに堂舎を起こして寺の興隆に力を注ぎました。江戸中期頃まで当寺は栄え坊は56にも達し松尾村といわれ、石高60余石の地でした。
江戸中期の明和頃から有栖川宮職仁親王に、毎年ご祈祷礼とお茶を献上した習わしがありました。元禄の著に「松尾村は 村家なし(=檀家なし) 残らず坊持ち也 坊中能く煎茶を製す 俗に『松尾茶』と称し名産とす」とあります。その後明治時代末には、松尾寺村も上丹生村と合併し、曼荼羅堂と鎌倉中期の石塔九重の塔や、松尾寺の七不思議と呼ばれる歴史の遺産が残っています。
ご本尊
ご本尊は 十一面観世音菩薩と聖観世音菩薩の二体が雲の上に仲良く並んでおられ来迎阿弥陀の変化したものであるといわれます。世人は俗に飛行観音とも云い戦時中には「飛行」ということから飛行機に乗る人達の信仰を集め、戦場へ飛び立つ若人が祈願に多々訪れました。
本堂
本堂は今から400年前兵火によって消失。その後建物は彦根藩主井伊家の庇護を受け、寛文年中(1622~1672)再建されたものです。
しかしながら、昭和56年1月の豪雪により本堂崩壊のやむなきに至った当寺は、現在山上には、曼荼羅堂があり、ふもとでは天台の法灯が守られ、近江西国33ヶ所の13番札所、湖北名刹霊場第24番霊場〈この度、名刹27ヶ寺観音霊場は『びわこ108観音霊場』としてスタートしました。 2009.9.8 記念法要 大津坂本 西教寺にて ) 近江に伝わる古刹の発展と仏法興隆、参拝に訪れる方々の心身の安寧を切に願う次第であります。
、飛行安全祈願、、、、等最近は参拝者富に多くなり、また、この地方の仏教文化を語る上で忘れることの出来ない寺院の1つでもある故、再建復興に対し、有志方々の報養を切に願うものであります。
松尾寺 住職